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デジタル版
JCKLニュースレター

タイムリー且つ皆様のお役に立つ情報発信を心掛け、毎月初旬にお届けいたします。
 

 

 


今月の写真<スカイミラー (天空の鏡)>


マラッカ海峡には引き潮時に現れる「砂の丘」がある。ここでは新月と満月の期間は水鏡のような現象が起こる。それは絶景として広く知られているウユニ塩湖のような美しい景観で長年地元の漁師や近隣の住民だけが知る場所だったそうだ。

2016年から2017年に旅行愛好家や地元の関係者によってセランゴールの観光資源として開発が進み、現在は天空の鏡・スカイミラーと呼ばれ、人気の観光地となっている。

KL市内から車で1時間半程度の距離にあるクアラセランゴールの乗船場から、ボートで更に40分程度移動する。着いた場所には何もない。四方は見渡す限り海。やがて、引き潮になると「砂の丘」が見えてくる。ツアー会社のスタッフ達が、まだ潮が残る中、撮影の準備を始める。やがて波も収まり、砂の丘が姿を現す。

足元には小さな海の生物たちが動き回っている。上陸したツアー客は思い思いのポーズでカメラに収まっている。空と海、まぎれもなくマラッカ海峡の中に立っている。まさにマレーシアならではの体験だ。

ここへ行くには、事前のボートツアー予約が必須である。ツアーが開催されるのは新月(旧暦の1日)と満月(旧暦の15日)の前後4〜5日間で、昼間の干潮時に限られ、月に20日程度となる。ツアーを予約すると、ボートの予約から写真撮影、撮影に使用するオーナメントまで含まれるので、気軽に参加することができる。ツアー会社によって用意されるオーナメントは異なるが、ゴジラやエッフェル塔、アヒルなどのミニチュアオーナメントを使った遠近法で、SNS映えするトリックフォトが簡単に誕生する。

現地では、潮が引いている間の1時間半ほど滞在し、写真撮影をしたり、小さな海の生き物と触れ合うことができる。明るい色の服(赤やピンク、オレンジ、黄色など)を着ると写真写りがよく、半ズボンが動きやすい。日焼け対策もお忘れなく。

 
 

KL日本人会には66もの部・同好会があることをご存じでしょうか。会員同士のつながりを深め、日本とマレーシアの交流にも貢献しながら、スポーツ、文化、趣味など幅広い分野で活発に活動中です。その種類の豊富さは、海外の日本人会の中でもトップクラスで、新しい挑戦をしたい方にもぴったりの環境です。
今月号ではスポーツ系、来月号では文化系の活動をまとめてご紹介しますので、気になる活動があれば、まずは見学から始めてみませんか。平日夜や週末に活動しているグループも多く、会社勤めの方でも参加しやすくなっています。活動は自主運営のため、詳細や見学希望は各代表者へ直接お問い合わせください。
(本特集の内容は2026年4月時点の情報です。最新情報は各リンク先をご確認ください。)
 
 
合気道は護身術です。攻撃技ではありません。楽しい稽古を続けております。
火曜・木曜 : 夜クラス、日曜 : 午前中
多目的ルーム、第2ホール
山田 012-227-7012

 
空手は、世界愛好者数1億3000万人以上。初心者から有段者まで、心と体を楽しく一緒に鍛えましょう。
日曜 15:15-16:45(初心者) 17:00-18:30(上級者)   第2ホール
竹澤 012-278-2355  田渕 012-939-3524

 
小学生〜中学生を中心に、初心者から経験者まで幅広いメンバーで活動しています。ヒップホップの基本的なステップをはじめ、自由に踊るフリースタイルなど、楽しく体を動かしています!
土曜13:45-15:00,15:10-16:30 第2ホール
日曜15:30-16:45 さくらルーム
竹井 011-5421-0186 (WhatsApp)
工藤 011-1556-2627 (WhatsApp)

 
「交剣知愛」を理念に、大人から子どもまで国籍を問わず、さまざまな仲間と楽しく稽古しています。初心者・経験者問わず大歓迎!ぜひお気軽にご参加ください。場所 : ホール(GF)
水・木 19:00-21:00
土 15:30-17:00(初心者)  17:00-20:00
日 17:00-19:00
jckl.kendo.malaysia@gmail.com
みんなで大きな円になってヨガマットの上で運動したり呼吸法を行ったり、またバスタオルや伸びる長いチューブなど使ってストレッチをしたり、時には壁を使ってエクササイズをしています。ご一緒に如何ですか?
木曜 14:00-15:30  第2ホール
NICO 012-702-1925 (WhatsAppのみ)
niconico12372@gmail.com 
ゴルフ木馬会は、毎週木曜日にKL近郊のカジュアルゴルフ場を転々として活動しているゴルフグループです。登録だけでもOK。気になるゴルフ場での開催日だけ参加することもOKです。
木曜 8:00-14:00 ランチ後に解散 
(祝日の場合は活動なし)
活動場所:Bangi 、Bukit  Unggul、Kinraraなど
ご連絡は LINE でお願いします
居合道・杖道に興味のある方、一緒に稽古しませんか。初心者歓迎、経験者も大歓迎です。指導者や先輩が丁寧にサポートいたします。見学・体験も随時受付中です。まずはお気軽にご連絡ください。活動場所 : ホール(GF)
日曜 13:30-16:30、金曜 19:00-21:00
村山 010-420-5073  E-mail
渡辺 017-659-5179  E-mail
日本の伝統武道である少林寺拳法は心身の成長を目的とした護身術です。マレーシアでご家族で始められる方が多いです。皆さん楽しみながら稽古しています。経験者の方も初めての方も大歓迎です。見学・体験受付中!
日曜: 10:00-13:00 ホール(GF)
木曜: 20:30-22:00 第2ホール(2F)
細江 019-228-0061 kyohei.gyo@gmail.com
中国発祥の武術、太極拳。ゆっくりと動いて健康な心と体を作ります。老若男女どなたでもできますので、気軽にお越しください!
メンバー募集中!
月曜 10:00-12:00  第2ホール
新谷:xingu3594@gmail.com
米村:noriko.tango3375@gmail.com

 

JCKL にて卓球を始めたビギナーが大半です。子供と高齢者が一緒に楽しめる稀有なスポーツ卓球を、冷房のあるホール (GF) で一緒に楽しみましょう。
水曜・金曜 : 午前中、月曜 : 夜
鷲津 011-1183-2646 寺島 017-732-6190
リニューアルした超初心者の為のダンスサークルです。サルサ、社交ダンス、ディスコ...etc, いろんなステップができるようになります。パーティやクルーズも参加が楽しみに。一度の人生シャインshineタイムをエンジョイしましょう!
木曜 10:10-11:10  ホール(GF) 部員募集中
宮城 011-7016-6283 
kurukurufuchan0108@gmail.com 

 
初心者 (未経験者不可) から上級者まで、週末に市内のコートで活動しております。まずは見学にお越しください!
土曜 : 主に午後、日曜 : 主に午前
工藤 kltennisjp@gmail.com
年齢、性別、バスケットボール経験問わず毎週楽しく活動しています!土曜は大人中心、日曜は子供中心で、両日20名程度で活動しています。まずは体験入部お待ちしています!
土曜 15:00-18:00 / 日曜 11:00-14:00
活動場所 : Taylor’s / Yoke Nam

秋場 (大人バスケ) : E-mail 
Kidsバスケ(中学生以下) : E-mail
軽快な音楽に合わせて、楽しく、無理のない体操で、体幹を鍛え、能活で健やかな身体作り。たまには楽しい仲間とグルメツアーで親睦を深め、充実したマレーシア生活をエンジョイしましょう。登録部員数 約15名、平均参加者 約7名
水曜 14:15~15:30   第2ホール
成田 keiko1129n@gmail.com
5歳~15歳までの少年少女達が4つの年齢カテゴリー ( Under 8/10/12/15 ) に分かれ、楽しくそして一生懸命に白球を追いかけています。初心者大歓迎!まずは見学や体験にお越しください!
活動場所: KL日本人学校グラウンドなど
日曜 8:00-11:30 カテゴリーにより終了時間は前後します。大会前は土曜日の追加練習あり。
harimau.baseballclub@gmail.com

 
経験者を中心に、男女20名ほど集まって練習しています(経験者7割・初心者3割)。国内外の大会参加をはじめ、ローカルチームとの交流試合、練習試合も定期的に実施。小規模のグループで、和気藹々と練習中! お気軽にお問合せください
日曜 8:30-11:30   クアラルンプール日本人学校
松倉 011-7241-3997 (WhatsAppのメッセージで)
佐藤 012-982-2092 (WhatsAppのメッセージで)
膝裏や関節の痛みを癒すヨガのひと時。心和み背丈伸びる実を体感いただけます。まずはお問い合わせ下さい。
日曜 11:00開始 12:00終了  多目的ルーム
喜美子 012-231-9723

 
仲間たちと吹矢による腹式呼吸で楽しみながら健康づくりを実践しませんか。
水曜 11:00-14:00  第2ホール
新谷(あらや):014-722-4091
藤井:014-323-3553



そのほかのスポーツ同好会

 アスタカジャパンFC  活動は不定期
 Enjoy!!ピックルボール  2026年2月発足、土曜12:30~、活動開始に向けて準備中

 

●見学/活動に参加される場合

  • 当会会員であることが条件です。日本人以外の賛助会員も参加が可能です。
  • 部・同好会の代表者に連絡して見学/参加希望であることをお伝えいただき、詳細をご確認ください。
  • お子様が参加される場合は「家族会員の登録」が必要です。
    会員ページにログインし、「会員情報」から家族会員追加の手続きをお願いします。

●部・同好会の会館施設使用ルールとお願い

 部・同好会の活動にあたっては、理事会で定められたルールの遵守をお願いします。
 こちらをご覧ください。

 


 


大使館からこんにちは

<新日馬産業協力セミナーの開催について>

在マレーシア日本国大使館
経済部 橋本 薫

 去る3月31日、クアラルンプールのEQホテルにおいて、「新日馬産業協力セミナー」が盛大に開催されました。本セミナーは、在マレーシア日本国大使館が主催し、マレーシア投資開発庁(MIDA)、国際協力銀行(JBIC)、日本貿易振興機構(JETRO)クアラルンプール事務所が共催、さらにマレーシア日本経済協議会(MAJECA)、日馬経済協議会(JAMECA)、マレーシア日本人商工会議所(JACTIM)が協力し、官民一体となって実現したものです。


 

 本セミナー開催の背景には、両国間の近年における緊密な関係強化と、未来に向けた共通の成長戦略があります。特に昨年10月、高市総理が就任後わずか4日目にして初の外遊先としてマレーシアを訪問され、アンワル首相との首脳会合では今後も緊密に連携していく方針が確認されました。その後、中東情勢をはじめとする世界的な不確実性が高まり、国際社会において「経済安全保障」や「エネルギー安全保障」の重要性がますます高まりました。これら高市総理の掲げる政策方針「強い経済」の柱であると同時に、マレーシアの「マダニ(MADANI)」枠組みとも強く合致する分野です。こうした共通認識のもと、産業分野における更なる連携の可能性が浮上しました。本セミナーは、昨年10月の首脳間の合意を具体的にフォローアップし、両国間の産業協力及び投資を一層強化することを目的として開催されました。

 本セミナーには、YBシム・ツェ・チン投資貿易産業副大臣、YMテンク・ザフルル首相上級政治顧問兼MIDA会長、そして日本から小見山経済産業省通商政策局審議官にご臨席いただきました。開会の辞では、四方駐マレーシア日本国特命全権大使が、本セミナーが二国間の産業協力をさらに強化し、インド太平洋地域の持続可能な成長に寄与することへの期待を述べました。両国の政府、産業界、ビジネス、学術界、メディア関係者から200名を超える方々にご参加いただき、活発な議論が交わされました。

 高市総理が掲げる「強い経済」を実現するため、成長戦略会議で特定された17の戦略分野、特にサプライチェーンの強靭化、AI、半導体、エネルギー安全保障、GX(グリーン・トランスフォーメーション)といった多岐にわたる分野が、主要な協力対象として挙げられました。セミナーでは、これらを踏まえ、以下の3つの主要な全体セッションが設けられ、深い議論が展開されました。

 経済安全保障とサプライチェーン: 世界情勢が不透明な中で、安定したサプライチェーンの構築と経済安全保障の確保について議論されました。
 資源・エネルギー安全保障/グリーン・トランスフォーメーション(GX): 脱炭素化(CCS)、水力発電、原子力、アンモニア、LNGといったエネルギー源、レアアースなどの資源確保、そして持続可能な社会実現に向けたGXの推進に関する討議が行われました。
 人工知能(AI)/半導体: AI技術の進化と半導体産業の重要性が増す中、両国間の協力可能性と今後の展望が話し合われました。
 閉会の辞では、四方大使がセミナーの成功を称え、参加者全員がネットワーキング・ランチョンに参加し、さらなる交流を深める機会となりました。

セッション1:経済安全保障とサプライチェーン

セッション2:資源・エネルギー安全保障/グリーン・トランスフォーメーション(GX)

セッション3:人工知能(AI)/半導体

 本セミナーでは、中東情勢の影響を踏まえたエネルギー安全保障や強靱なサプライチェーンの構築に向けた有意義な議論が行われたほか、来年の外交関係樹立70周年を見据え、日馬の産業政策を次の成長段階に進めていく方針が確認され、まさに、日本とマレーシアの産業協力の新しい未来を切り拓くキックオフとなったと確信しております。

 最後に、本セミナーにご参加いただきました皆様、そしてご協力いただきました関係各所の皆様に、この場を借りて心より御礼申し上げます。今後も日本人会の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。
 

 

 

🥄 豆カレー(ダルカレー) ☕
 


料理講習会講師 ちはる


 

南インドで日常的に食べられている「サンバル*(Sambar)」と呼ばれるダルカレーは、レンズ豆などの豆と野菜をベースにタマリンドの酸味とスパイスの香りを合わせた、やさしくも奥深い味わいのカレーです。ご飯はもちろん、ロティチャナイなど、何に添えても美味しくいただけます。
お店で「ダルカレー」と呼ばれているのは、「ダル」がヒンディー語で豆を意味するためです。使用する豆の種類や野菜の組み合わせによって風味はさまざまで、家庭ごとに定番の味があります。
まずは基本をマスターし、自分好みのダルカレーを作ってみませんか。
*インド料理のサンバル(Sambar)は、マレーシアの辛味調味料サンバル(Sambal)とはまったく異なる料理です。
 

🍳  材料 4人分

作り方①で使用
・レンズ豆 150g
・ターメリックパウダー 小さじ1/2
・水 1.5ℓ

作り方②で使用
・玉ねぎ 50g
・お好きな野菜(例)
 ジャガイモ 100g
 ウリ(ユウガオ) 80g
 ナス 80g
 人参 40g
・サンバルミックス 25g
・コリアンダパウダー 大さじ3

作り方③④⑤で使用
玉ねぎ 40g
にんにく 4片
生姜 10g
カレーリーフ 小枝2本分の葉
青チリ 1本
マスタードシード 中さじ1
クミンシード 中さじ1/2
調理油 大さじ3
トマト 中1個

作り方⑥⑦で使用
タマリンドペースト 小さじ1/2
塩 6g
砂糖 小さじ1/2
ココナツクリーム 大さじ2

レンズ豆 Lentils RM5/500g
食物性タンパク質や食物繊維が多く栄養価が高い。豆の色は黄、橙、黒などがあり、写真は黒と橙の豆で鉄分やアントシアニンが豊富。水戻し不要で、手軽に使える食材

サンバルミックス
Sambar Mix RM5/125g
ダルカレー専用のミックススパイス。基本的な構成はコリアンダ、クミン、フェヌグリークなど

コリアンダパウダー
Coriander Powder 
RM3.5/125g
コリアンダの種を粉末にしたスパイス。爽やかな香りがあり、料理に深みを出す

タマリンドペースト
Tamarind/Asam Jawa
RM5/200g
タマリンドの果実から種を除きペーストにした便利な商品。酸味料として使う

ココナツクリーム
Coconut Cream RM2.7/250g
ココナツミルクより脂肪分が高くとろみのある質感。甘い香りとまろやかな味わい。
写真の商品がおすすめ


 

マスタードシード (左) とクミンシード
Mastard Seed
Cumin Seed
各RM2/50g
スーパーマーケットなどで購入可


 

ウリ (ユウガオ)
Water Gourd/Bottle Gourd
RM5.5/本
皮に少し苦味があるので皮を剥き、種も取り除いて使おう

🍳  下準備

①玉ねぎ50gとお好きな野菜を一口サイズにカット

②玉ねぎ40gを1~2mm幅にスライス。にんにくと生姜はみじん切り

③トマトはざく切り

🍳  作り方

①レンズ豆を入れた鍋に水1.5ℓとターメリックパウダー小さじ1/2を入れ、豆が柔らかくなるまで(20~30分)煮る

②野菜類、サンバルミックス25g、コリアンダパウダー大さじ3を加え、柔らかくなるまで煮る(水分が減りすぎたら足す)

③油を引いたフライパンでスパイス類(マスタードシード、クミンシード、カレーリーフ、青チリ)を中火で炒め香りを出す

④下準備②の玉ねぎ、にんにく、生姜を加え、軽く色づくまで炒める

⑤トマトを入れて数分炒める

⑥豆と野菜を煮た鍋に⑤を入れ、タマリンドペースト小さじ1/2と塩6gを加えて数分煮る

⑦砂糖小さじ1/2とココナツクリーム大さじ2を加え、数分煮たら火を止める
 

⑧ご飯やロティといっしょにどうぞ

 

*このシリーズで紹介して欲しい食材や調味料・スパイス等あれば、事務局までお寄せください。office@jckl.org.my

 

 

 

「止まらないイライラ」は体内の空焚き?
 


国際中医薬膳師、中国黒龍江中医薬大学中医学学士
坪井良和

強烈な日差しと湿気、そして夕方の激しい雷雨が共存する5月のマレーシア。この時期、なぜか「些細なことに腹が立つ」「夜になっても目が冴えてしまう」。そんな症状に心当たりはないだろうか。それは性格のせいではなく、体内の「陰陽」が崩れ、アドレナリンが空回りしているサインかもしれない。

マレーシアでは気象の陰陽は激しく入れ替わる。日中の焦がすような熱気から一転、夕暮れには激しいスコールが大地を叩き、一気に湿気が立ち込める。この数時間での急激な変化は、自律神経にとって非常に過酷だ。日中に熱を帯びた「陽」の気が、夕方の湿気によって出口を塞がれると、熱は行き場を失い、体内で「内熱(ないねつ)」としてこもってしまう。これが、夕方以降の異常なイライラや胸のざわつきを加速させる正体だ。


 

この「内熱」がこもった状態を、東洋医学では「陰虚陽亢(いんきょようこう)」と呼ぶ。実はこれ、西洋医学でいう「ホルモンバランスの乱れ」と驚くほどメカニズムが似ている。

私たちの体には、活動を促す「アクセル」と、鎮静させる「ブレーキ」が備わっている。東洋医学でいう「陰液」は、体を潤し熱を冷ます潤滑油(ブレーキ)であり、西洋医学におけるエストロゲンなどのホルモンもまた、代謝を整え自律神経をなだめる守護神(ブレーキ)の役割を果たす。

中高年期に入ると、この「ブレーキ液」は自然と減り始める。そこへマレーシア特有の過酷な気圧変化や暑さが加わると、脳は「もっと頑張れ」とアドレナリンを出し続け、アクセルを踏みっぱなしの状態にしてしまうのだ。潤い(陰)が足りないエンジンに無理やり燃料(アドレナリン)を注げば、システムは焼き付き、異音を上げる。あなたが感じる「不器用な怒り」は、単なるオーバーヒートの結果に過ぎない。

陰虚陽亢のメカニズム

ここで問題となるのが、五行説における「木(もく)」と「土(ど)」の関係だ。「木」は自律神経や情緒を司る「肝」を指し、「土」は消化器系である「脾胃」を指す。本来、木は土に根を張り、適度に土を耕して活性化させる役割を持つ。しかし、ブレーキの壊れた「陽」の熱によって木の伸びる力が異常に強まると、その勢いが土を締め付け、養分を奪い尽くすように負かしてしまう。これを「木克土(もくこくど)」と呼ぶ。伸びる力が暴走した「木」に振り回され、土壌である「土(脾胃)」が疲弊する。イライラと胃の不調がセットでやってくるのは、まさに体内でこのパワーバランスが崩れている証拠なのだ。

これから6月から9月にかけての本格的な乾季を迎えるにあたって、この「木克土」の連鎖を止めておくと、マレーシアでの生活はもちろん、夏場に日本に帰った時でも夏バテへの予防策にもなる。体の内側の「潤い」を確保し、木の健やかな成長をキープする工夫を始めよう。

木克土の関係

1.「酸味」でアドレナリンの暴走にブレーキをかける
東洋医学において「酸味」には、外に漏れ出しすぎたエネルギー(陽)を内側に引き戻し、収める働きがある。焼きそばや揚げ物についてくる現地のライム「リマウ・カストゥリ(Limau Kasturi)」を絞る際、まずはその香りを深く吸い込んでほしい。香りが「木(肝)」の緊張を緩め、酸味が空回りするアドレナリンを落ち着かせてくれる。ライムに限らず、柑橘系にはこの効果が期待できる。

2.「白い食材」で冷却水を足す
中高年に限らず、一年中エアコンにお世話になり、夜も活動する私たちに不足しがちな「陰」を補うには、白い食材が特効薬だ。現地のデザートでお馴染みの白キクラゲ(Snow Fungus)や豆腐花(トウファ)は、肺と肌、そして心を潤す。ホルモンバランスの揺らぎを整え、体内の熱を穏やかに鎮める「天然の冷却水」として機能する。

冷たいビールもおいしいが、午後の休憩や夜食には温かい白キクラゲのスープや緑豆お汁粉などのローカルデザートを。そんな余裕が、あなたの「土(胃腸)」を救い、穏やかなマレーシアの夜を連れてきてくれるはずだ。

白キクラゲのデザート
ローカルのデザートは、薬膳の観点から見ても、優しい甘さで脾胃を補い、体内の水分を補う効用があるものが多い

 

 

 
 

 

2008年に夫とマラッカへ移住してきた彩子E.ハーイです。この「マラッカ通信」では、在住者の視点からマラッカの魅力をご紹介しています。

マラッカ通信5回目は、マラッカのオランダ統治時代についてお話ししようと思います。
 

※筆者紹介 彩子E. ハーイ
北海道根室市出身。札幌市藤女子大学卒業後、OMF日本語学校に就職。アメリカ人の夫とニューヨークに3年、ロスアンゼルスに9年滞在。日本に帰国後、名古屋大学大学院にて修士号取得。大学非常勤講師として英語を教える。2008年に夫とマラッカに移住。

 

マラッカのオランダ統治時代

アジアの小国マラッカに起こった様々な事件を理解するためには、広い世界全体を見ていかなければなりません。

オランダ統治時代は1641年から1824年ですが、この間1795年から1818年は英国の統治下にあったため、実質的には約160年となります。先日、マラッカで生まれ育った友人たちに、「ポルトガルとオランダの統治はどちらが長かったか」と尋ねたところ、「ポルトガル?」という答えが返ってきました。ポルトガルの統治期間は1511年から130年とオランダより短いのですが、オランダの印象はポルトガルより薄いのです。その理由は、オランダは多くの建物を残しましたが、そこには血が通っていなかったからだと言えるのではないでしょうか。

1600年代初頭からオランダは、世界にその名を轟かせていたマラッカを奪おうと数回にわたって攻撃しましたが、マラッカを陥落させることはできなかったので、1619年にジャワ島のバタビア(ジャカルタ)の開発を開始しました。バタビアは、豊かな農産物や香辛料の産地に近く、遠浅のマラッカと違って、港湾設備を整えやすいという好条件を備えており、間もなくマラッカを凌ぐ勢力となっていきました。

1641年1月、約6か月に及ぶ凄惨な籠城戦の末に、オランダは遂にマラッカを勝ち取りました。しかし、本丸はすでに、バタビアに移っていたのです。オランダが執拗にマラッカを攻撃し獲得した主な理由は、ポルトガルの支配をこの地域から排除することにありました。また、マラッカはバタビアの安全と支配体制を守るうえで重要な軍事的前哨地でもあったのです。オランダはこれによって、マラッカ海峡における自国の船舶の安全と、世界各国及び沿岸諸都市との交易による利益と、海峡を通過する船舶から徴収する税金のすべてを手にすることになりました。

ポルトガルにとって、マラッカを失ったことは、東南アジアにおける統治力の低下を意味していました。ポルトガルの海外植民地帝国は、マラッカを失うとともに、その終焉を迎えることとなったのです。

一方、清朝は1727年のロシアとのキャフタ条約締結のあと、鎖国的姿勢を和らげ、南方海上貿易も再び盛んになり、マラッカもその恩恵を受けました。マラッカから中国への主な商品は、スズと胡椒。中国からヨーロッパやスマトラなど近隣諸国へは、茶葉。オランダ東インド会社(VOC)はこれらの貿易で、莫大な利益を獲得。1780年代まで、マラッカは再び繁栄の時代となりました。

さて、バタビアですが、数千人から始まったバタビアの人口は、17世紀末には3万人弱に達しました。1640年のこの頃、400人近い日本人のコミュニティがあったと記録されています。大多数はVOCの傭兵でした。日本で鎖国令が発令された1630年以後は減少し、現地の女性との結婚により、自然に現地に吸収されていきましたが、日本人は勇敢な兵士として記憶に残っているそうです。ポルトガル側にも、"17世紀初頭のオランダからの攻撃にマラッカが屈しなかったのは、ひとえに日本人傭兵のおかげである。また、日本人は東洋において、最も勇敢な国民に違いない" と記録されているように、日本人が武勇においてその名を留めているということは、興味深い発見ですね。(出典: 『The Portuguese Missions in Malacca and Singapore』p233)
 

オランダがマラッカに遺したもの

🔳オランダ広場(スタダイス、教会、噴水、時計塔)

話をオランダ統治初期のマラッカに戻しましょう。
オランダの建造物として最も有名なものは、マラッカの中心にあるオランダ広場の一辺をなすスタダイスでしょう。この建物は、1645年ころ完成した、東南アジアで最も古いオランダ様式の建築です。市庁舎、知事公邸、裁判所として使われた、オランダ統治を象徴する建物です。隣接するキリスト教会と同じように簡素な外観で、内部は厚い黒塗りの木の床ですが、広々とした間取りなどにおおらかな往時がしのばれます。現在は博物館になっていて、多民族、多宗教であるマラッカの歴史と文化の理解に役立つでしょう。
キリスト教会は、18世紀にオランダ統治100年を記念して建てられたプロテスタントの教会で、クラシック音楽のコンサートなども行われます。オランダ広場の噴水と時計塔は、19世紀のイギリス統治時代に建てられたものです。
現在、マラッカと言えばこの色ともいえる赤褐色も、イギリスによって塗られたものです。それまでは、オランダ植民地時代の建築にあるように白壁でした。白い壁の汚れと、劣化を防ぐためだったろうと言われています。

 

オランダ広場

🔳ジョンカー通りとヒーレン通り

オランダ広場の次に観光客に知られているところは、ジョンカー通りでしょう。実はこの名前は、オランダ語のJonker (gentleman) から来ています。若い貴族や士族の子弟たちが主な住人でした。Heerenは、ジョンカーよりも格上で、高級官僚や裕福な商人たちが住んでいました。

ところが、1686年、それまで立ち並んでいた木造の家屋を取り壊して、石とレンガ造りの家だけにするようにという命令が出されました。ポルトガル時代の家々が戦火で焼き払われた後に建てられた、にわか造りの木造の家ばかりで、火事が絶えなかったからだといわれています。これ以後、ヒーレンとジョンカーの通りには、石とレンガで作られた裕福な階級の家々だけが立ち並ぶことになりました。

ヒーレン通りの家は、前庭、中庭、奥庭を持ち、大勢の召使たちの住む、貿易で財を成した大富豪たちのものでした。ヒーレンの格式に比較すると、ジョンカーは幾分小ぶりの家々からなる、商業に従事する庶民の活気にあふれた通りでした。ごく最近まで、従業員を雇わず家族全員で経営する家内事業がほとんどでした。

この性格の異なる隣り合った通りが、中華街の中心を形成していきます。プラナカンの文化は、ここで育まれたのです。

ジョンカー通り


 

 
ヒーレン通り

 

🔳歴史を受け継ぐマラッカの街並み

現在のマラッカの町並みは、オランダ時代からほとんど変わっていません。間口が狭くて、縦に長く、両サイドの壁を共有するというオランダと同じ様式です。オランダでは、間口の幅によって税額が決められたので、この形式になりました。中国にも、これと全く同じ様式の家並みがあり、中国系の人たちにも受け入れやすかったのでしょう。京都の町家も似ていますね。

私たちが17年間住んでいる家も、17世紀末に建てられたものです。二階建てで、エアウェル(airwell)と呼ばれる吹き抜けの空間が二つあり、幅4m、長さ33m、天井の一番高いところが4.5mで、非常に風通しの良い、今は数少なくなった典型的なショップハウス(shophouse)です。エアコン無しで快適に暮らしています。一階は、カシミールからきた兄弟が経営する高級土産物店です。
 

🔳オランダの都市計画

オランダは、ポルトガルとは違って、マラッカの人々と交わることには積極的ではありませんでした。オランダ語を押し付けることもなく、学校も建てませんでした。オランダが送り込んだのは、オランダ東インド会社(VOC)の従業員だけで、彼らは砦の内部に居住していました。その他のオランダの自由商人たちや現地の人々の商業活動および生活は砦の外で営まれ、それぞれの人種のコミュニティに、カピタン(kapitan)と呼ばれる責任者が置かれました。この制度はポルトガル時代からありましたが、オランダはこの制度を世襲制にして、より権威あるものとしたのです。この制度は、各民族の独自性を保つと同時に、一つのまとまった力になることを阻止する役割を果たしました。また、マレー系は農業、インド系は肉体労働、中国系は商業、というように社会的な分断を助長させたのです。

オランダは、バタビアには運河を巡らせ、オランダ風の瀟洒な街に作り上げましたが、運河は蚊の大発生を招き、マラリアなどの熱帯の疫病が蔓延する不健康この上ない場所になってしまいました。このため、マラッカには運河を作らなかったのです。

オランダにとって、マラッカは、バタビアをしのぐことのない程度に繫栄させることが重要なことでした。
 

🔳多様な宗教が共存する街

また、オランダは宗教に対して非常に寛大で、現在ハーモニーストリートと呼ばれる、ジョンカー通りに並行する3ブロックだけの通りには、道教・仏教・儒教、イスラム教、ヒンズー教の寺院が、「軒を並べる」という形容がふさわしいくらいの距離で共存しています。これはオランダが、土地を寄進するという形で建てさせたもので、異なる宗教の寺院がこれほど近くに並んでいる光景は世界でも珍しいでしょう。

ハーモニーストリート
左端からヒンズー寺院、モスク、その先の青雲亭はマストが小さく見えている


青雲亭 (チェンフンテン)
マラッカ統治後間もない1646年に、中国から資材を運んで建てられたもので、マレーシアで一番古く、道教・仏教・儒教が融合した豪華な中国寺院です。この寺院は中国人社会の中心であり、オランダが任命した中国系コミュニティの責任者「カピタンチナ」は、この寺院の代表者でもありました。マラッカがユネスコの世界歴史文化遺産指定を受ける際、この寺院の歴史的価値と多様性が大きな役割を果たしたといわれています。

船乗りの守護神を祭っており、二本の赤いマストが立てられている

青雲亭は単なる寺院でなく、中国人社会の中心であった

第二代カピタンチナ

本堂の三尊像
 

カンポン クリン モスク (Kampung Kling Mosque)
1748年に木造で建てられたものを、1872年に元の形を損なわないようレンガ造りに建て替えられたものです。「カンポン」は村、「クリン」はインド人という意味ですから、インド人の集落にインド人のために建てられたモスクだということがわかります。
建設にあたったのは中国系の大工たちだったので、一般的なドーム型の屋根ではなく、四角錐の三段屋根になっており、ミナレット(塔)も、パゴダ(仏塔:ストゥーパ)を思わせる階層のあるものです。これは「マラッカ様式」と呼ばれています。内部装飾は、イギリス、ポルトガル、マレー、インドなど、様々な意匠が組み合わされ、正面入口を支える円柱はギリシャ由来のコリント様式を取り入れています。多民族、多宗教の歴史的融和を物語る、世界的にも類を見ない建築物といえるでしょう。

カンポン クリン モスク

ギリシャのコリントスタイルの柱

スリ ポヤタ ヴィナヤガー モーティ寺院
(Sri Poyatha Vinayagar Moorthi Temple)
この寺院は、オランダ統治から100年以上がたった1781年に建てられました。オランダの影響で、他のヒンズー寺院に比べるとごく簡単な正面となっています。
多神教のヒンズー教において、特にガネーシャ信仰が篤いタミール系インド人コミュニティの精神的な中心です。
小さい寺院ながら、「タイプーサム」と呼ばれるお祭りも行われています。これは体に鈎針を突き刺して、それに重い祭壇などを繋いで引っぱったり、先の鋭い太さ1cmもある鉄の棒を、右の頬から左の頬へ突き通すなどの荒行を行うお祭りで、人間の能力の限界に対する認識を改めさせられる経験となるに違いありません。5~6人のメンバーからなる楽団がマレーシア全土から集まってきて、心と体全体をゆすぶるような音楽を奏でることも、この祭りの魅力です。

タイプーサムの行者

スリ ポヤタ ヴィナヤガー モーティ寺院
 

以上三軒の建築は、オランダが建てたものではありません。オランダの努力はもっぱら、砦の城壁の補強に注がれました。大きな石を積み上げて造り替えられた城壁は、18mを超える東南アジア最強のものとなっていきました。マラッカの住民たちにとっても、砦は自分たちの誇りでした。
 

マラッカをめぐるオランダとイギリス

🔳ナポレオン戦争によるオランダの危機

ところが1795年に思いがけないことが起こりました。ナポレオン戦争の勃発です。このヨーロッパの出来事が、アジアの小国マラッカに与えた影響は驚くべきものでした。フランス軍に攻め込まれたオランダ王室は、英国に逃れることを余儀なくされたのです。しかし、オランダと英国は友好的な関係にあったわけではなく、ヨーロッパの国々の中ではっきりナポレオンを否定していたのは英国だけだったからです。このため、オランダが支払わなければならない代償は大きなものでした。戦争が終わって王室がオランダに帰るまで、という条件で、フランスの支配から守るため海外における重要な居留地のほとんど全てを英国の支配に任せる、ということになったのです。それらの居留地の中には、当然マラッカも含まれていました。
 

🔳新たなマラッカの支配者 イギリス

1795年8月に1,400人の英国軍がマラッカに上陸し、マラッカは英国の支配下に置かれました。同年12月、新しく赴任したレニエール(Rainier)提督 は、オランダ人の知事をはじめ、軍の司令官やVOCの関係者など全員を追放し、VOCの所有物を競売でごく安価に売り払いました。(The History of Dutch in Malaysia p79)

1807年、マラッカはイギリス東インド会社の拠点となったペナンの管理下に置かれました。1807年に赴任したノーマン マカリスター(Norman Macalister)知事指揮下のペナン政府は、マラッカの有名な砦をはじめ、町全体を破壊し、住民をペナンに移住させて、マラッカの存在を抹消しようと計画しました。(The History of Duch in Malaysia p81)
イギリスによるマラッカ暫定占領期間が終わり、オランダが戻ってきた時にマラッカを利用できないようにし、海峡におけるオランダの影響力を徹底的に消し去ることが目的でした。市民の反対運動などにもかかわらず、1807年、砦の爆破が軍政長官ウイリアム ファーカー(William Farquhar)少佐の指揮により開始されました。高さ18mの壁を支える地中の土台は何メートルもの深さがあり、爆破には何か月も要しました。マラッカの人々は泣いたと『The Hikayat Abdullah』(p56-64)に書かれています。

1808年、たまたまスタンフォード ラッフルズ(Sir Thomas Stamford Raffles)が保養のためマラッカを訪れ、この暴挙に驚いて、カルカッタのインド総督ミントーに報告書を送って中止を進言し、賛同を得ました。しかし、インドから停止命令が届いたときに、残っていたのはあのサンチャゴ門だけだったのです。その後マラッカに、かつての華やぎが戻ることはありませんでした。

1814年にナポレオンは失脚し、1818年にマラッカはオランダに返還されます。マラッカの人々は、英国よりはオランダのほうがずっと良いと言って喜んで迎えました。しかし、1825年になると英国が再び戻ってきました。英蘭協定によって、マラッカはスマトラのベンクーレン(Bencoolen)と交換されたのです。この協定によって、英国はシンガポールからマレー半島、オランダはインドネシアを支配することが成立したのです。オランダのマラッカ支配は、戦いという破壊を伴うことなく、協定という形で終わりを告げたのでした。
 

🔳マラッカ海峡の主役はシンガポールに

マラッカの繁栄は18世紀末にはすでに下降線をたどっていましたが、1819年にラッフルズがシンガポールに拠点を置いたことにより、港としての価値はさらに低下していきました。マラッカは遠浅で、大きな船は接岸できず、小舟に積み荷や乗客を積み替えて荷揚げするという手間がかかるのに対して、シンガポールは大型船舶が接岸できる港湾設備を容易に開設できる水深を持っていました。そのうえ、ちょうどこの頃、蒸気機関が発達し、風や潮に左右されなくなりました。マラッカを港町として繫栄させたもう一つの要因であった、風待ち潮待ちの必要がなくなったのです。さらに、ラッフルズはシンガポールを税金のかからないFree Port(自由港)として世界に開放し、国際的な知名度を急速に高めていきました。
 

マラッカは国際貿易港としての地位は失ったものの、20世紀前半までは胡椒やコメ、ゴムといった地域経済の中心として栄え、現在では多民族、多宗教の共生する歴史的・文化的に貴重な観光地として、生き続けることとなったのです。

 

引用・参考文献:
『History of the Dutch in Malaysia』
Author: Dennis De Witt
Publisher: Nutmeg Publishing

 

 

 


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毎年日付が変わる祝日

  5月1日 Labour Day  メーデー


本来、メーデー(May Day)とは五月祭を意味し、ヨーロッパ各地で春の訪れをお祝いする日であった。19世紀に入ると、労働条件の改善を求めるストライキが5月1日にアメリカで起こったことを契機に、次第に「労働者が声をあげる日」として世界各地に広まり、現在では「International Workers’ Day」とも呼ばれている。

日本では祝日とされていないものの、世界の多くの国ではこの日が祝日となっている。また、国によっては5月とは異なる時期に労働者の日を定めている場合もある。

マレーシアでは、メーデーは労働者の権利・功績を社会全体で称える日として位置づけられており、全国規模の祝賀行事や労働団体によるラリー、就職フェアなどが開催される。2025年の祝賀行事は、Bukit JalilにあるAxiata Arenaで行われ、優秀な労働者、雇用主、労働組合などが表彰された。

祝賀行事は毎年TV1などでライブ中継される

 

  5月27日* Hari Raya Haji  ハリラヤ ハジ (犠牲祭)


イスラム暦の12月10日にあたり、メッカ巡礼の終わりを告げる日。ムスリムにとってメッカ巡礼は、体力と財力が許す限り生涯に一度は果たすべき義務とされており、毎年マレーシアからも敬虔なムスリムが参加する。メッカ巡礼には高額な費用が発生するため、ひと昔前までは渡航できない国民が多かったのだが、近年では所得が上がっていることもあり、希望者がかなり増えているとのこと。国ごとに参加可能人数が割り振られているのだが、それを遥かに上回る信徒が参加希望を出しているため、マレーシアではメッカ巡礼まで数十年待ちとも言われている。

メッカ巡礼は一生に一度行けるかどうかの思い入れの深い特別な行事であり、例年ムスリムは、地元のモスクで朝の礼拝に参加し、牛などの家畜を生贄として神に捧げる儀式を行って過ごすことから、ハリラヤ ハジは「犠牲祭」とも呼ばれている。儀式の後は、その場で生贄をさばいて肉を分け合ったり、モスクで調理して参加者にふるまったり、ムスリム同士の連携を深める日にもなっている。

捧げた家畜の肉を切り分けて貧しい家庭に分けるのは、イスラム教の教えに基づくもの

 

   5月31日* Wesak Day  ウェサックデー  釈迦生誕日


お釈迦様の生誕・悟り・入滅を祝う祝日で、Vesak Day (ヴェサックデー)とも呼ばれ、世界中の仏教徒にとって一年で最も神聖な日とされている。旧暦の4月15日にあたり、日本では「花まつり」「灌仏会(かんぶつえ)」といい、毎年4月8日に行われている。

お釈迦様は花園で生まれたと伝えられていることから、この日には仏教寺院が多くの花で飾られ、まさに「花まつり」の名にふさわしい光景が広がる。信徒は花や果物などの供物や寄付を携えて寺院を訪れ、寺院からはベジタリアンの食事が振る舞われる。また、色とりどりの花で飾られた山車が大通りを巡るパレードが行われるなど、各地で賑わいをみせる。

信徒たちはこの日、普段以上に善行を心掛けて過ごすという。この日に善い行いをすると、何倍もの徳を積むことができると信じられているためである。また、日ごろ動物の命をいただいて生活していることへの感謝の思いから、この日は菜食を実践する信徒も多い。今年も世界各地で多くの仏教徒が寺院に集い、お釈迦様の生誕を祝うとともに、より良い世の中になるよう祈りを捧げることだろう。

インド系信徒も少なくないPJの仏教寺院


 

えっ!マレーシア <ゴーカート体験>

 

小さい頃、遊園地やデパートの屋上でゴーカートを楽しんだ経験がある人は多いことだろう。コースの壁や他のゴーカートにぶつからないようにするハンドルさばきの楽しさは、運転免許証を持っていなくても味わうことができた。そんな体験とは随分異なるが、運転免許証なしでも本格的なレーシングドライバー感覚でゴーカート体験ができる場所がマレーシアにもあることをご存知だろうか。場所はシャーアラムのスバン空港近く。全長600m、24コーナー、スピード・テクニックを楽しめるコースが設置されている。つまり、ここのゴーカートはレジャー感覚ではなく、本格的なレース体験ができる最新式のゴーカートなのである。

体験前にはしっかりした説明を受け、そのルールの下で走行する。重いヘルメットをかぶり、緊張の面持ちでカートに乗る。1周目はコーナーの曲がり方をスタッフに教わりながら走行するが、コーナーの曲がり方やスピードのコントロールの仕方が難しい。壁にぶつかったりストップしてしまうことも多く、ハンドルさばきやコースの取り方は初心者にはかなり難しい。事前にコースをしっかり把握しておいた方がいいと言われていたが、実際走行してみてその意味がよくわかる。コースの取り方次第でラップタイムは大きく変わる。走行タイムを計測して競える仕組みにもなっていて、この日は3回の走行結果で順位が決まり、表彰式を行うこともできた。

本格的なレース体験ができる施設

ここは単なる走行施設ではなく、設備、体験の質、サービス内容も充実していて、子ども用のコースやトラックを見渡せる観戦エリア、グッズなどを扱うプロショップ、軽食カフェスペースもあり、一日を通して家族連れでも楽しめるスポットになっている。エアコン完備の屋内型の施設なので、天候に左右されることもなく、快適に過ごせる。年齢制限なし、健康な方なら誰でも参加でき、身長120cm以上なら子供でも参加可能。運転免許証不要。初心者から経験者まで楽しめるレーシング体験型の施設である。

レーサー気分で緊張みなぎるスタート前

トラックマップとガイドライン

コーナーさばきの指導を受けながら走行練習
 

この施設(EVOLT KARTING)の日本人インストラクター Tomo Satoさんによると、予約なしの体験走行の場合、待ち時間が発生することがあるため、事前予約がおすすめとのこと。事前に予約をすると、走行セッション料金が10%割引になる読者限定特典を受けられる。この機会に、マレーシアでちょっとしたF1レーサー気分を味わってみませんか?
 

<予約先> Evolt Karting (Selangor Track)
10%割引を受けるには事前予約が必要
・WhatsApp 012-648-8064
・メール info@evoltkarting.com
  「Referred by Tomo Sato via JCKL Newsletter」と伝える
割引適用期間:2026年5月1日~2027年3月31日


 

<日本語での問い合わせ>
日本人インストラクター:Tomo Sato
・メール tomosatosan@gmail.com
・WhatsApp 012-216-1090
(件名にゴーカートの件と明記)
※Tomo Satoさんによる日本語の「ゴーカート教室」は8人以上で開催可。要相談。

 

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